昭和五十一年十二月一日朝のご理解
松永享四郎
ご理解第五十八節
「人が盗人じゃと云うても、乞食じゃと云うても、腹を立ててはならぬ。盗人をしておらねばよし。乞食じゃと云うても、もらいに行かねば乞食ではなし。神がよく見ておる。しっかり信心の帯びをせよ。」
神様が見ておって下さる、それを信ずる事が、信心です、ですから、仇やおろそかには出来んのです、だから、乞食じゃと云われても、泥棒だと云われても腹を立てるどころか、かえってフアイトも湧いて来るし、また、おかげでと云うお礼の心も湧いてくるのです、昨日の、ご理解の中にありました尻取り言葉のみ教えの様に。
振られたふの字のまんのよさ、普通は振られたふの字のふの悪さと云うのです、ところが振られたおかげで、断られたおかげで、と云うのですね、そこの、所謂、神を信ずる者の受け方、受けとめ方がある訳です、振られたふの字のまんのよさ、先は判らぬ事ばかり、理屈を云わずに出直せ出直せ、せかれて来るでは遅すぎる、留守は女房に任せとけ、と云う様な、云わば神様を信ずるから出来るのです。
ああの、こうのと理屈を云うのじゃない、その決して苦労はさせはせんと云う風に頂いたらどうでしょうかね、昨日は、どんなでしたかね、そこは、留守は女房に任せとけ、と云うところ、結構道は開けるぞと、云うところね、だから、決して苦労はさせはせんと云うてもよい訳ですよ、だから、その内容がね。
私は、最近云われる合楽理念に基づいて、所謂、立脚して、為そうと思えば、子供でも成せる事をおろそかにして来ておった事を気付かせて貰うて、それを、行の上に現す時に、ここの五十七節ですね、金を杖につけば曲がる、竹や木は折れる、神を杖につけば楽じゃと云う事になるのです、だから、楽でないならば、不安であるならば、心配であるならば、神を杖についてない証拠だと悟らせて頂いて、そこからの信心修行が要るのです。
一昨日、鹿児島の大口教会の安武先生が、お礼に出て来られた、あちらへ出られてもう5年になるそうです、末永先生と同期です、そんな関係で親教会は甘木ですけれども、親里は本郷教会です、甘木教会の出社でありました、けど永年道が開けなかった、おばあさんが一人で教会を守っておられた、それはもう、本当に兎に角、お粗末もお粗末、これ以上お粗末な教会はなかろうと。
もう大口と云う所は、鹿児島の北海道と云われる位に、非常に寒い所だそうです、山の上ですから、高い所にあります、それで、もう雪が降ると、お広前に、自分の寝ている所に、布団の上に雪が積もる位なお粗末な家だったそうです、勿論、だから教会長先生は、市の補助を受けて生活をしておられると云う様な、云わばみじめな教会だったそうです。
そこに、親教会の甘木の親先生が、あそこに出れと云われて、それこそ、親の云う事をそのまま承って、大口に、未だ23.4だったでしょうかね、末永先生、先生が大口へ行ったのは、(24ですと答え)24歳だったそうです、そこで、単身教会に行ったそうです、初めの間は若さに任せて元気であったけれども、もうそれこそ、誰もお参りはない、知った者はおらず、たった一人ですから、もうそれこそ、孤独に襲われるそうです。
今度の、教報に、先生がその日の教話というのに、写真入りで、報道されとりましたが、その事の中に取上げとります、大変な難しかった事を、もうそれこそ何度、自分は、もう難しかと思うたか判らない、それでも。矢張り頑張って、もうそれこそ、なんと云うかね、大口の市内をね、夜、夜中に、一生懸命ぐるぐる廻りながらね、生神金光大神とおらび続けて、廻ったと云う事でした。
私は、その話を聞かせて頂いて、ほんなごてね、あの聞くも涙、語るも涙とは、こう云う事じゃろうかと思いました、ね、そして、5年間そして、いつも自分の云わば、支えになるのは、ご理解五十七節の、これも教報に書いとります、これは或る先生から頂いたみ教えだと云うて、私の事と、私も思いましたがこれを、只単に頂いたら何でもないみ教えですけれども、神を杖につけば楽じゃと仰せられるのに、楽でないならば、まだ神様を信じていないとして、神様を信ずる修行に一生懸命取り組んだと云うのです。
これは、ギリギリの極言ですよ、ね、このみ教えは、如何に私が金光様の信心しとります、おかげを頂きました、霊験を受けましたと云うてもです、信じておる程度がその程度、神を杖につくと云うて、ついていない、人やら、物やら、金やらをついておるから、曲がったり折れたりするのです、神を杖についとけばそんな事はない。 そして、5年後には、雑餉隈の教会から、あちらのお嬢さんをお嫁さんに貰うた、そして、聞かせて頂いた話ですけれども、もうお広前の改造が始まった、ところが、次々と住居の方も建てようと云う事になって来た、初めは瓦葺きだったのが、今度は、銅板葺きに
変わったと云う話を聞かせて頂いた。
そりゃ、あちらは、嫁さんの里は雑餉と云えば、それこそ、金はどがしこあるか判らんと、云うごたる教会、雑餉教会、甘木にはああ云う大きな教会、親教会、自分の親里は、云わばここら辺では、一流教会であるところの、本郷の教会がお父さんであります、本当の、だから、あっちこっちから、例えば、千万出たっちゃ、三千万は集まるです。
云うなら、奥さんの里から、それは、奥さんの里からの信者さんの大工さんがあちらに行っとるそうですが、次々とそう云う風なおかげ頂いて、けれども私は思うです、そりゃね、親達のおかげで、お広前が建ったと云うてもです、初めから誰も出してやっとらんでしょうが、5年前には誰も、それこそ、もう甘木の教会から、十万円貰うて行って布教に出たそうです。
けども、5年前には誰も、家を建ててやろうとも云わなかったし、なら、お金も貸してやろうとも云わなかったし、嫁ご呼んでやろうとも云わなかった。
けども、5年間も辛抱し抜いた時に、云わば、雑餉のああ云う、云わばごひれいの立つ教会のお嬢さんを、嫁さんに貰う事が出来て、恐らくは、昨日、末永先生もやっぱりそうだそうです、所謂、親達がそう云う立派なお広前を建立する事になった。
それは、親達じゃなくて、5年間辛抱した事から出来たのですから、やっぱり安武先生の信心です、ね、それこそ、本当に孤独感に襲われて、気違がいになろうごとある、夜、夜中でも、じっとしておられんから、市中に走り出して、生神金光大神様と唱えながら廻ったち、やっぱりそう云う修行を辿どっとる訳なんだ。
そこで、私は研修の時にその事を取り上げて、云うたんですけど、今迄は、そう云う信心が一つの美談の様に、美徳のごと云われた、教祖様が、元をとって道を開く者は、あられぬ行をするけれども、と、後々の者は容易うおかげが受けられると、云うておられるのにもかかわらず、教会の、教会長どもする者は、そげな修行の一つもしとかんなんと云う様な、間違った考え方をしとる。
それは、自分で自分の心をです、牢獄へ繋ぐようなもんです、自分が自分を縛る様な考え方です、所謂、表行でもせなんと云うものは、自分で自分を縛る様なもんです、ね。
けど、そのあり方と云うものは、健気ですから、神様からおかげ下さるけれどもね、私は、これは私の上で、ここで修行しとります先生方が、布教に出てです、成る程親先生が云いよった様に、よその修行生の様に、それこそ食べる物もない、それこそ、家の中に雪が降りこんで来ると云った様なところに住まわんでも、ちゃんとおかげの頂ける実証をしてからでしか、実際は云われんのですけれども、私は確信しておる、それは、私自身の信心から確信しておる。
合楽の信心が、始め6畳の部屋の時には、やっぱり6畳の間がいつもいっぱいだった、ああ勿体無い事じゃあると思いよった、15畳になったら、15畳がいっぱいにあった、40畳になったら、40畳がいっぱいあった、そして、合楽のこうやって頂いた、百畳のお広前にならせて頂いたら、もうすでに、百畳がいっぱいになった。 そうでしょうが、そう云う苦労がなかったと云うのです、その前には、私も判らんから、さあ桂先生の修行、石橋先生の修行と云った様に、あれやらこれやらしたけれども、それでは成就しなかった、そして、今云う合楽理念に基づいてと云うのは、只修行と思うて自分の上に、どんなに修行しても、本当のおかげにはならんので、私の上に起きて来る一切の事を修行として受けますと、と云う行き方になったら、それは非常に楽なものであった、楽しいものであった。 これは本当にそうですばい、腹を決めてんなさい、起きて来る一切の事をです、もう修行で受けると腹を決めた時点から、もうこげな事をこげな難しい事を、神様に約束してから、こりゃあしもうたと思うた事は一辺もない、もう受け切る腹が出来たら、難しい事じゃない。
そして、そう云う信心を段々続けさして頂いておる内に4年半、初めてそれが、成り行きを大切にさせて頂いた事であり、成り行きそのものは、神様の働きである。
例えば、泥棒と云われても、乞食じゃと云われても、それを神様のお声と聞き、働きとみて、それを黙ってやはり、受けて来たと云う事である、そりゃあ本当に云われて参りましたです、もう人非人と云われました、私は、けどそう云う時に、神様にそれこそ血の涙の出る様な思いが致しますけれども、そうじゃ、人非人じゃと、神様が人非人とはね、姿は人間だけれども、心はもう神様へ向かって、半神半人、半分は神様、半分は人間と云った様に変わって行きよる、人非人です、人に非ずと、普通で云う人非人とは違う、そう云う頂き方をさせて頂いたら、人非人と云われる事は本当に、素晴らしい有り難い事になって来たのです。
私が、どこが人非人かと云う様な受け方ではなかった、と云う事なんです、そして、これが真の信心だと、断言せれる様に、段々それがおかげ頂いて来たんです、だから、私自身がそう云う体験して来たんで、そりや椛目の6畳時代には大変な、食べる物も食べんなと云う様な修行した事はなかったと云う事なんです、それ前はあったけれども、一遍そこに、人が助かる取次ぎの場が出来た時点から、一つも苦労はしていないのです。
只、いつもが勿体無い、勿体無い、だから、此処の修行生も、私が云うところの所謂、合楽理念をマスタ-して、合楽理念をあらゆる角度から、身につけて、そして、子供でも為そうと思えば成せる様な、簡単な事を、おろそかにして来た事に気づいて、そこに所謂、実意丁寧神信心になって来る時に、どこへ出しても人が助かるおかげが受けられると云う事であります。
例えば、この五十七節にも、五十八節にも、今日は五十八節を聞いて頂いとる訳ですけれども、五十八節の中に、合楽理念が入ってしまう、いや合楽理念の中に、この五十八節が、五十七節がスポっと入る事が判りますね、これは、この教祖の教典のすべて入る事になるのです。
だから、今合楽の信心は完璧の域に入ったと云う事になるのです、その完璧の域に入ったその合楽の信心が、これまた限りない、未完成のまま永遠に続くであろう、この信心を求め続けて行くと云う事に成るのです。
昨日、泉尾の季刊誌であります「いずみ」と云う本が、竹内先生のところに毎日送って来るのです、それで、いつもそれを見せて頂いて、まあ、あちらのごひれいをふれて、いつも心が躍動する、ああもう、合楽がおかげ頂く、おかげ頂くと云うけれども、あちらの、例えば、いろいろ写真が載っておりますが、もうそれこそ、ご本部の祭場の様に沢山のご信者さんが集まっております、書いてある内容はそげん素晴らしい事とは思わない様な感じだけれども、人が助かっておると云う事実がある。
昨日も、若先生と、大体合楽のいや、泉尾のごひれいはどこにあるのだろうかと、そしたら、僕はいつかあちらのごひれいの事について、神様にお願いさせて頂きよったら、白い情念と云う事を頂いたと云うのです、云うならば、白熱化した信心と云う事なんです。
赤く燃えている時にはまだ、燃えてないのです、それが白熱化する時には白くなるのです、光が、それが白熱化です、云わば、先生の話の随所に出て来る事は、いつも、もう命がけであんなさると云う事なんです、なら、私もやはり命がけと自分で思うとるのですけど、その私のはまだ、赤く燃えているくらいじゃなかろうか、白熱化していない。
昔、安珍清姫と云う恋物語がありますね、安珍と云うお坊さんに、清姫が惚れる訳です、そして、黙って寺に帰ったので、その安珍の後を追うて、お寺に訪ねて行くと云うところ、ところが、大井川を渡ったところで、大水の為に、川止めになるのです、大井川です、だから、大井川に身を投じて、泳いで行くのです、それこそ、鬼になった、蛇になった、と云うので、身は蛇体になって、大井川を渡って行ったのです、そして、寺に着いて大きな釣り鐘の中にかくれている、それを幾重にも巻いて、それを溶ろかしたと云う程しの、まあ恋物語りです。
私は、そう云う意味で、非常に清姫と云う人の心掛けと云うものが好きですね、其のくらいの情熱がなからねば、駄目ですよ、もう捨てられたと云うので、く-っとして、自殺するごたるのと違う、どこまででも本当に追いかけて行く、そう云う心が、私は、泉尾の先生の心じゃなかろうかと思うですね、白熱化した信心です。
昨日、30日のお礼信話会でしたから、皆さんのいろいろお話を聞かせて頂いたんですけども、昨日、研修の時のお話をさせて頂いたんですが、昨日、研修の時に、栄四郎が、久し振りで研修に入っとりました、そして、こう云う発表をしとりました、僕達は子どもの時から、合楽の信心というものは、もう云うなら、知っているだけは知っているて、例えば問題が起こる、それは問題じゃないんだと、問題を問題とする時にはもうね、自分の信心が疑わしいんだ、
問題じゃないんだ、神愛だ、神様のお働きなんだ、それを充分判っておった気がしたけれども、実際自分の上に起きて来る問題は、どうにも出来ないと云っております。
そこに、自分の修行不足を感じ、知っておるだけでは、いけないと云う事が判ります、それこそ、今合楽で云われるところの心行が、心の中になし続けられておる、愈々本気で、成り行きそのものを尊び大事にさせて頂くと云うた様な、所謂、本気で取り組んでいない、頭で判っているだけだと、云う意味の事を発表しとりましたが。
もう判っておって、愈々自分のものになって本番の時になって、心が乱れたり、または、二の足を踏んだり、迷ったりしる様な事では、信心の値打ちがない、それこそ、泥棒と云われりゃ、俺が泥棒したかと云わんならん様な事ではつまらん、そこで、しっかり信心の帯をせよと云うておられるのであります。
神がよく見ておる、しっかり信心の帯を、所謂神様が見てござる世界に生き抜く、それを信ずる事が信心だと云うのです、しっかり信心の帯を締め直し、締め直し、そのところの稽古が出来て行って、それこそ、合楽理念に立脚して、現在云われておる信心が出来ている限り、素晴らしいおかげの世界に出る事が出来るだろう、同時にそれに、自分の信心に欠けておる情熱と云うものが、燃えておる様であっても、それはまだ、赤々とした火であって、白熱化してはいない、そこで白熱化。
昨日、田主丸の石井信司郎さんが、発表しとりました、夕べ、本当に恥ずかしい話、自分の信心のお粗末なのに、それこそ、愕然とするけれども、自分に困った事、難儀な事、どうでもおかげ頂かんならんと云う時には信心に迫力が出る、おかげ頂かんならん、そして、ここへ着いて、お参りをさして頂いて、本当に皆さんは、信心、真心、神心、神人を求めて合楽に来られるけど、自分はおかげを求めて今、合楽に参って来てると、情けないと云う事を云うとりました。
けども、私はその後に申しました、なら合楽にこれだけの沢山な信者がおるが、本当に純粋な信心だけを求めて来ておる人が、信者が一人でもおろうか、やっぱり一生懸命参りよりもんな、尻に火が着いた様に参って来ておる、又は、参れば奇跡的なおかげを受けられるから、参って来ている。
昨日、私は研修の時に、もう今日と云う今日ばっかりは、月末ですから、もうギリギリ手形が落ちない、お金が、もう兎に角、時間が無いのです、皆、午後から電話がかかって来た、そげんとが、ず-っと続いとったんです、しかし、この傾向と云うか、そう云う傾向がある。
病気のお届けがあると、病人がず-っと続いたり、然も、日頃一生懸命信心しとる人が、金銭のお繰り合わせを願う時なんかはですね、もう実に楽です、この人がこれだけ打ち込んでいるのですから、おかげ頂く事は判っているです、又は、金銭のお繰り合わせ頂かんでもです、それだけ打ち込んどりゃ、おかげにして行ききるです、その人は、それこそ断られてもです、それこそ振られたふの字のまんのよさで頂いて行けれる、一生懸命打ち込んどる人は。
けれどもね、この頃不信心になって、もうむしろ参って来んがと云う人から、もう時間切ってもう何十万、一人の方は、百八十万、これがもし出来んなら、2度目の倒産せんならんと云うて、電話の向こうで泣きよるとじゃん、ついこの頃倒産したばかり、これは、ある教会の信者です。
そして、合楽に参って来ておかげを頂いて、小さなささやかな、会社を又設立したです、ところが、思いもかけない所から、時間を切って、百八十万と云う金を催促されて、又倒産せんならんと云うのです、それが、4時の研修の一寸前です、そしたら、研修が終わったら、本人がここに出て来ましたから、ああ又お願いに来たとばいなと思うた、ところが、兎に角先生もう恐れ入ってしまいました、もう何年間音信不通だった人から、電話が掛かって来た、その話をしたら、それがおかげで、それは心配するなと云うて頂いたんだと云うて、早速福岡からここまで、お礼に出て来た。
直方から掛かって来た人は、もう時間が1時間しかなかっちゃ、それがあると思いよったら、無かったげなけん、二十万、もうどんこん、こんこん出来んけん先生お願いします、もう以前自分方の商売が不如意の時には、毎日あっちから参って来よった、そしたら、この頃おかげを頂いて、まあ金の事は、ばさらかお願いせんでん良かごとなったら、ピッシャと参って来んごとなった、そしたら、昨日電話が掛かって来て、先生どうぞ宜敷くお願いしますと、こう云う訳です、丁度研修しよる最中に電話が掛かって参りました、おかげでお繰り合わせ頂きました、と云う訳なんです。
と云う昨日は、それも一つの傾向です、だから、そう云うおかげが、合楽では受けられる訳ですよ、やっぱり、だから、おかげを目当てに信心する人もあり、なら、信司さんが云う様に、一生懸命迫力が出ながら、朝参りの一つもさして貰うかと、云う気持ちが起こっておる時には、必ず困った問題がある時であって、平穏無事の時には、心が緩んで信心が出来ませんから、恥ずかしい事だけれどもと云うて、と云う発表をしましたです。
皆も同じ事ばいと云うて、やっぱりおかげ頂かんならんけん参って来よると、だけれども、だから、信司さん、折角お願いにお参りして来るなら、その願いはもうちっと大きく持ちなさい、私が云うた、高芝さんが頂いとられる、云わば、小我を捨てて、大我に生き抜けと云うが、それは、小さい欲を捨てて、大きな欲に、大欲に生き抜けと云う事にもなるのです、小欲を捨てて、大欲に生き抜く。 今、あなた、青年会長として、もう近い内に青年大会を開かんならんじゃろうが、そう云う例えば、願いの為に、修行でもさして貰うと云う気になるとね、不思議に信心が身に付いて来る、おかげも頂くと同時に、信心が身に付いて来ると云うおかげになって来るんだ、そして、信心と云うものは、判って行くのであります。
だから、愈々本気で合楽理念をマスタ-しただけでなく、それを自分の身に頂いて行こうとする、信心意欲と云うものが、出来て来る、そして、合楽の信心を愈々ね、だから、白熱化して行く一つの過程としてです、私は、愈々願いを大きく持つ事だと思います。
なら、泉尾の三宅先生が、どう云う願いに立っておられるだろうかと云うと、このご本にも書いてありますが、先日ソビエトに行って帰って来た、南米に行って帰って来た、と云う様な記事が出とります、もう世界の云うなら難儀に取り組んで、世界総氏子の助かりを祈り、本気で願って、もう私共より十幾つの年寄り、もう七十幾つであんなさるでしょうけれどもです、とてもとても、若い者でもかなわん様な、西に居られたかと思うと、東に行っておられると云った様な活躍を続けておられて、そう云う大きな願い、世界総助けと、自分で云っておられる様な、大きな願いを持っておられる、やはり、白熱化して来なければ居られん事になるのではないでしょか。 只、自分の目の前のこのおかげ頂くだけと云う事だったら、おかげ頂いたら、す-っとする、だから、それはそれで良いけれども、その願いと云うものは、段々大きくなって行くところから、白熱化して行く信心、燃焼してしまう信心、それこそ、安珍清姫じゃないですけれども、一切をおかげに、溶ろかしてしもうて行く様な、私は、情熱と云うものが、掛けられなければいけない。
私も、先日から、神様から「実川延若」と云う事を頂きました、云うならば、若さを延ばして、の願いをせろと、健康の事をもういっちょう改めて願えと云う、改めて五つの願い以外に、また、自分の健康の事を願います。
又、どうでも一つ若返ると云う事が出来んにしても、これから先は年は取らんと云うごたる、一つおかげ頂かじゃならんと、思うて願っております、だから、申した事でしたけれどもね、十年取って(当年取って)53歳になります、今私が63ですから、十年取ると53になります、十年取って53歳と今から云おと思います(笑い)。
斎藤実盛じゃなかばってん、私は、その位なね、あの演出でもしたから、人からでも若若しゅう見られる様なおかげを頂いて、若い元気でなからねば、そう云うエネルギ-は出来ません、これから、愈々合楽の信心も、赤い燃えとる信心から、白く燃える様な、それこそ、白い情念に入って行きたい、そう云う願いを持っております。
今日は、五十七節を一寸借りて、五十八節を聞いて頂きました、しかも、五十七節、五十八節が、今、合楽で云われておる、合楽理念を土台として、今迄おろそかにしておった、信心から、実意丁寧に頂いて行こうと云う信心が、今日のご理解の中にスッポリと入ります。
だから、本気で一つね、もう一遍、合楽理念と云うものを、知った上に知ってあるのですから、栄四郎じゃないけれども、知っとった、問題ないと云う事は、どげな人が問題にしよっても、そげな事は問題じゃないと思うとった、けど、実際自分自身の身にかかって来ると、それが、問題になっておるので、信心不足を悟ったと、云う様に、信心不足を悟らし貰うて、本当に合楽理念に立っての信心が本気でなされて行かなければ、ならないと云う事であります。
どうぞ。